出偶えた喜び(3)
30才を過ぎたころ結婚し、2004年に初めての子どもを授かりました。
そして、その子はダウン症という障害をもって生まれてきたのですね。
子どもに障害があることが分かったのは妊娠八ヵ月ころの定期検診でした。
定期検診での検査からダウン症の疑いがあるということで、それから詳細な検査をすることになって染色体検査を行いました。
結果については心の準備はできていたものの、お医者さんから診断結果を告げられたときはやはりショックでしたし、自分の子どもに障害がある、この事実をなかなか受け入れることができませんでした。
やっぱり障害をもちながら生まれてくる子どものことが心配でしたが、なにより親である自分たちがこの子を育てられるか、これからの生活がどうなってしまうのか、そういった自分たち自身の不安がとても大きかったのです。
それからしばらくは、ちょっとした瞬間に落ち込んだり泣いたりといったふうな気持ちの揺れがずっと続いていたような気がします。
私はまだ仕事をしていましたので気が紛れることもありましたが、妻は(計画出産になったため)ずっと入院していましたので辛かったろうと思います。
それでも、お腹の中の子はこちらの気持ちなんてお構いなしに元気に大きくなっていきました。
妻のお腹に手を当てているとボンボンと蹴っとばしてくる、この力強い命を持った愛おしい我が子が、障害があろうがなかろうが何ものにも代えがたい存在であること。
そのことがすっと心に入ってきたのは生まれる一ヵ月前くらいのことだったと思います。
それからしばらくして、ようやく元気に生まれてきてくれた子どもですが、いろいろと身体機能の障害もあり、生まれてすぐに顔をゆっくり見る暇もなく、あっという間にNICU(新生児集中治療室)へ入院となってしまいました。
次の日早々に最初の手術をすることになり、手術の前に子どもに会いにNICUへ行ったのですが、ちょうど手術の準備中でした。
点滴の管を腕に刺しているところだったのですが、やっぱり腕がとても細いのでなかなか入らなかったのですね。
大人でも辛いと思いますが、ましてや本当に生まれたばかりの小さい赤ちゃんが、大きく、でもか細い声で泣いている姿を見て、本当に涙が止まらなかったです。
看護師さんには「お父さん、大丈夫ですよ、心配いりませんからね」と子どもよりも心配されてしまうくらいでした。
手術がようやく終わったのは8時間ほどたってからでした。
NICUに顔を見にいくと、たくさんのコードや人工呼吸器につながれながらも静かに眠っていました。
そんな姿を見ながら、あらためて、この大切な命を大事に育てていこうと妻と二人で思いを新たにしました。
そして一ヵ月がたったころ、やっとこの手に抱っこすることができました。
ほんの少しの時間でしたが、小さな小さな身体で懸命に息をしている我が子の体温の暖かさ、命の重さが身体中に伝わってきて、またしても涙が止まらなくなってしまった初抱っこでした。
その後も何度かの大きな手術を乗り越えて、退院できたのは生まれてから1年ほどがたってからになりました。