報恩講のシーズンです

こんにちは、副住職です。

今回は神奈川県海老名市にあります浄光寺さまに報恩講(ほうおんこう)でのご法座のご縁をいただきまして出向させていただきました。

ご法座というとあまり聞いたことがない言葉かもしれませんが、布教の場というと少し伝わるでしょうか。

「布」という言葉には「広くゆきわたる、広くゆきわたらせる」という意味がありますが、文字どおり「阿弥陀さまのみ教えを広くゆきわたらせる」ことを目的として、お坊さんがお話しさせていただきながら、阿弥陀さまのみ教えやお用きについてお参りに来られた方々と一緒に味あわせていただくこと、それを「布教」といいます。

そんな布教の場=ご法座を浄光寺さまが設けてくださったので、少しお話しをさせていただきました。

そして報恩講というのは浄土真宗では一番大切にさせていただいている法要で、真実のみ教えをお示しくださった浄土真宗の開祖である親鸞聖人のご遺徳に感謝し、阿弥陀さまのお救いをあらためて心に深く味あわせていただく、親鸞聖人のご命日をご縁とした法要です。

親鸞聖人のご命日は弘長2年11月28日(新暦では1263年1月16日)なのですが、報恩講は京都の本山・西本願寺では毎年1月9日から16日まで、築地本願寺では毎年11月11日から16日まで修行されます。
一般寺院では10月から11月、12月くらいに修行されることが多いですね。

では、ご命日ではなくてお誕生日はどうかというと、承安3年4月1日(新暦では1173年5月21日)なので、本山では毎年5月20日と21日、築地本願寺では毎年5月21日に降誕会(ごうたんえ)という法要をお勤めします。

お誕生日よりご命日の法要のほうが規模が大きく大切にされているのは「今生での命の終わり=死というものが、阿弥陀さまのお救いのお用きをいただくことで生死(しょうじ)の迷いから抜けて、いよいよお悟りを開かせていただいた尊い瞬間であると味あわせていただく」ことにつながり、まさに浄土真宗的だなと思います。

その阿弥陀様のみ教えをずっと聴き続けて、そして私たちに伝え続けてくださっている親鸞聖人ご自身がご往生されるとき、どういう弔い方をしてほしいかをお弟子の方々に話したことが、親鸞聖人のひ孫である覚如上人(かくにょしょうにん)という方が『改邪鈔(がいじゃしょう)』という書き物に残してくださっています。

それによりますと

かつは本師聖人(親鸞)の仰せにいはく、「某(それがし) 親鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」と云々。(註釈版聖典 P.937)

「私の命がつきたら、その亡骸は鴨川に流して魚のえさとしてください」と、そんなふうに親鸞聖人はおっしゃったのですね。

まさしく、この世での命が終わったあとはお浄土に往生させていただいて仏としての命をいただくのだから、残る亡骸には意味はない、そんな親鸞聖人の声が聞こえてきそうですね。

そして覚如上人はこう続けられました。

これすなはちこの肉身(にくしん)を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆゑなり。これをもっておもふに、いよいよ葬喪(そうそう)を一大事とすべきにあらず。もっとも停止(ちょうじ)すべし。(註釈版聖典 P.937)

亡骸を大切にするよりも、阿弥陀様のみ教え、お用きを大切にしてください、それをおざなりにしてお葬式やお弔いを大ごとにしてはいけませんよ、そういった意味でしょうか。

死は今生の命の終わり、ではあるけれど、すべての終わりではなく、死というご縁をいただいて、お浄土に生まれさせていただき仏としての命をいただいていくことなのだから弔いも不要であると、親鸞聖人のお言葉を覚如上人はひも解いてくださいました。

 江東区扇橋にあるお寺
 浄土真宗本願寺派 西岸寺(さいがんじ)