出偶えた喜び(4)

子どもが退院して家族での生活が始まりましたが、これはもう、てんやわんやの毎日でした。

一ヵ月のうち半分は元気かと思ったら、もう半分は体調を崩して入院、その繰り返しです。

もしも何かあったときのために酸素吸入器と酸素ボンベをレンタルしていたのですが、実際には使うことはないだろうと、たかをくくっていたのです。

でも、やっぱり何度か使う機会があり、本当に助かりました。

ちょっと呼吸の調子が悪くて酸素ボンベで吸入しながら近所の病院に行ったときに、もっと大きな病院へ救急車で搬送されることになり、まさかの酸素ボンベを抱えたまま救急車に乗ったりすることもありました。

そんな状況が1年ほど続き、妻は勤めていた仕事を辞めざるをえず、ずっと子どものために頑張ってくれていました。

そのおかげもあり、子どもは少しずつ成長し、身体も少しずつ少しずつ丈夫になっていきました。

そして、数年後には長男と次女を授かり、家族は5人になりました。

==

そのころ、私のほうの仕事は、ある程度のキャリアを積んだため管理職になり、仕事の内容は設計業務そのものから、いわゆるマネージメント業務が仕事になりました。

自分の部下、チームを持つようになり、チームリーダーとして自分のチームがどうしたら成果を出せるかを考える仕事になったわけです。

ここでもとても優秀なメンバーに恵まれました。

リーダーとして力不足を感じながらも日々全力で取り組み、それでも自分のマネージメントが良かったとは全く思いませんが、メンバーのおかげでチームとしての成果は本当に素晴らしいものであったと自負していました。

 江東区扇橋にあるお寺
 浄土真宗本願寺派 西岸寺(さいがんじ)