出偶えた喜び(7)

仕事では毎日一生懸命に業務をこなし、それは世界でナンバーワンになるために必要なことで、やりがいもある。

ナンバーワンになる、ということは誰かがナンバーツー、ナンバースリーになるということ。
競い合いであり、その競争に勝つことが全てです。

常に他のメーカーとの性能、コストの優劣を競い、あのメーカーには勝った、そのメーカーには負けた、あのメーカーは不良品を出したから今がチャンス。
そんな価値観の中で生きてきたのです。

もちろんナンバーワンを求めることは決して悪いことではありません。
ナンバーワンにならないと分からないことも見えないこともあります。
ですが、その価値は他者と比べることでしか生まれないものです。
比べることで見えてくることもあるでしょう。

しかし、比べることだけに囚われてしまっては、それぞれが持っている個性や人格、そして存在や命が見えなくなってしまうことも確かにあるのでないでしょうか。

運動会でそれぞれがオンリーワンで輝いている子どもたちの姿を目の当たりにして思ったのはそんなことでした。
そしてまた、仕事中心になってしまっていて我が子とも全然向かい合うことができていなかったこともあり、もっとこの子どもたちと関わりをもち、何か一緒にできないかな、そんなことを考え始めました。

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ちょうどそのころ、勤めていた職場でも大きな動きがありました。
私が携わっている電子回路業界では競合メーカーである台湾、韓国勢の台頭が著しく、日本勢は厳しい状況に追い込まれていました。
会社の業績的な面も芳しくなく、その結果、希望退職者を募りだしたのです。

希望退職というのは、年齢など条件はありますがそれをクリアし応募すると、その時点の退職金に少しばかりの上乗せをしてもらえて退職できるという制度です。

上乗せといっても、当時入社してちょうど20年目だった私は条件ギリギリで、そもそも大した金額をもらえるわけではありません。
もちろん、このまま勤め続けていたほうが収入的には大きくなります。

ただ、日々感じていた「この会社の中で自分はどうなっていくのだろうか」といく漠然とした閉塞感のようなものもありました。

そして、子どもたちの運動会で気が付いたこと、考えたことを反芻する中、(会社の状況とは全く別の話しとして)このころの普段の生活の中で「お寺どうしようかね」という会話が夫婦の中でたまにあったりしたことで、お寺を使って何か障害を持った子どもたちと関わることができないかなと考えるようになりました。

これからどうしていこうか、ということを家族でよく話し合い、義理のお父さんである住職とも話しをして、将来的にお寺を継がせていただくこととなり、子どもたちがまだ小さく金銭的に負担がしばらくは少ないこと、また年齢的にも人生をシフトチェンジするにはぎりぎり、そして中途半端にやっている時間はないと考えて、思い切って希望退職に応募し会社を退職しました。

2012年10月末、43才になったばかりのことでした。

 江東区扇橋にあるお寺
 浄土真宗本願寺派 西岸寺(さいがんじ)